特集 さよなら東武鉄道
            西新井工場・杉戸工場




 東武鉄道開業当時は始発・終着両端駅に各機関庫・客車庫を設けて車両の保守、検査・修繕を行って
きましたが、明治43年に浅草(現・業平橋)に東武鉄道唯一の本格的工場として浅草工場が新設されまし
た。この工場は当初蒸気機関車の検査・修繕を主として(浅草機関庫)、後に車両全般にわたる定期検査
並びに修繕を行なうようになりました。その後はもっぱら機関車の検査・修繕を行なうため、機関庫が順次
新設されました。大正11年12月1日に館林機関庫が、昭和5年10月11日に杉戸機関庫が設けられ、
浅草機関庫は杉戸機関庫の浅草支庫となりました。昭和6年5月28日に鶴田機関庫が新設されました。
また、大正9年4月27日に川越機関庫が東上鉄道合併によって移管され、さらに昭和18年5月1日には
新高徳機関庫が新設されました。

 昭和18年12月1日に機関庫を機関区に、機関庫主任を機関区長に改めました。昭和21年10月22日
に杉戸機関区浅草支区を杉戸機関区より分離し、浅草機関区を新設しました。昭和26年6月1日に杉戸
機関区千住派出所が、また昭和29年4月1日に館林機関区妻沼派出所が新設されました。昭和31年10
月15日に新高徳機関区を廃止し、翌日杉戸機関区新高徳支区を新設されましたが、昭和34年6月30日
に廃止されました。昭和35年4月30日に貨物輸送の電化に伴い、川越機関区が廃止されました。

 大正13年に東武鉄道懸案の電化が始まり、工場の作業に電車が加えられましたが、後に電機・制動機
関係は新しく誕生した西新井電車庫で担当するようになりました。昭和4年に全線電化が完成し、加えて
日光線が開通して、在籍車両が著しく増加し、作業量が増大したので、車両の検査・修繕は車種によって
分化されました。貨車の検査・修繕は初め機関庫と共に駅で、後になって浅草工場で行なわれていました。
昭和4年4月1日に浅草工場鐘ヶ淵派出所(元浅草検車所修理庫)が設置されました。その後は各機関庫
で貨車の検査・修繕を行なっていましたが、昭和17年4月1日に機関庫より貨車の検車関係を分離して、
浅草検車区(久喜以南及び日光線<同支線を含む>)、館林検車区(鷲宮以北<同支線を含む>)、川越
検車区(東上線<同支線を含む>)を設置して貨車の修繕を中心に行なうようになりました。

 そして客貨車検査規定及び検査心得を制定して、貨車の検車業務を実施しました。各検車区には検車区
主任、検車区助役、検車手及び検査助手が置かれました。昭和18年12月1日に検車区主任を検車区長
と職名を改めました。杉戸には浅草検車区杉戸支区が設けられていましたが、昭和21年10月22日に
杉戸検車区に改め、また浅草検車区を杉戸検車区浅草派出所として駐在員を置きました。昭和24年6月
1日に浅草検車区を杉戸検車区浅草派出所を廃止し、杉戸検車区浅草支区を設置しました。さらに昭和3
0年3月10日に杉戸検車区浅草支区を廃止しました。

 元浅草工場は第1工事科(製罐・組立・機械)、第2工事科(鍛冶・鋳物)、第3工事科(台車・木工・塗工)
に区分されていましたが、昭和4年12月に鍛冶職場を第1工事科に移し、第3工事科を第2工事科に合併
して、第1工事科、第2工事科に縮小しました。

 西新井電車庫は前述の通り、電車の保守と共に、電機・制動機関系の定期検査を担当していましたが、
昭和13年10月1日に検査関係は電車庫より分離し、新たに西新井第3工事科として誕生しました。これに
より各工事科別職場は第1工事科(組立・仕上・鉄工・施盤製罐・鍛冶)、第2工事科(木工・木工仕上・
縫工・塗工・鋳物)、第3工事科(電機・制動)となりました。昭和18年12月1日に各工事科は工事区と改称
されました。ただ、第3工事区は開設当時は単に名目だけのものでした。

 その後、建物や機械装置などの工場設備が充実するようになって、昭和19年4月19日に西新井工場
第3工事区として発足し、正式に工場法の適用を受けて、電機機器や空気制動装置の検査・修繕を行なう
ようになりました。浅草工場は不幸にして昭和20年3月9日の戦災により全焼したので、7月1日に急遽
杉戸に工場を建設し、従来の浅草工場第1工事区と第2工事区の鋳物職場を移し、第2工事区を西新井
工場に移管しました。しかし昭和22年2月1日に浅草工場が復旧し、西新井工場に移管した第2工事区が
復帰しました。

 川越電車庫の検査関係は昭和13年10月1日に川越第3工事科となりましたが、昭和23年1月1日限り
で廃止され、浅草工場鐘ヶ淵派出所は昭和23年3月16日に浅草工場第4工事区となりました。先に再建
された浅草工場は昭和26年8月14日に再び火災に見舞われて大半を消失しましたが、ただちに仮工場を
建てて作業を開始しました。

 昭和28年末に一貫作業による車両修繕の能率向上と経費節約を目的として、浅草・西新井工場の合併
が決定され、巨額の資金と1カ年の日時を費やして、西新井に近代的な総合電車工場を建設しました。
これに伴い浅草工場は昭和30年1月1日付で西新井工場第1工事区となり、従来の西新井工場第3工事
区は第2工事区に改められました。またこれと同時に貨車修繕能力向上のために浅草工場第4工事区は
杉戸工場に吸収されることになり、昭和29年6月に杉戸工場の拡張工事が着手され、昭和29年11月に
完成し、杉戸工場第2工事区となりました。

 また、昭和33年1月に杉戸工場、同年7月には西新井工場の機構の変更を行ない、工事区制が廃止
され、西新井工場に8職場、杉戸工場に5職場が設けられました。さらに昭和35年10月に電車の増加に
伴い、西新井工場の拡張工事を行ないました。

 貨物輸送の電化に伴い、従来の蒸気機関車を廃止して電機機関車を全面的に使用することになり、まず
東上線の貨物輸送の電化に着手し、蒸気機関車中心の機関区を廃止して昭和35年1月1日、川越電機
乗務区が新設され、電化輸送業務に当たりました。また本線でも同様電化業務に当たるため、昭和35年
7月16日に杉戸電機乗務区が設けられました。

 また杉戸工場は電機機関車修繕の一貫作業を昭和34年4月より開始しましたが、さらに電気機関車と
貨車の修繕能力の向上を図るため、拡張工事を計画し、貨車関係は昭和35年下期、電気機関車関係は
昭和36年下期にそれぞれ着工し、前者は昭和36年上期に、後者は昭和37年下期に完成しました。

 西新井工場は電車・内燃動車、杉戸工場は蒸気機関車・電気機関車・貨車の修繕を担当していました
が、最終的には両工場とも電車の検査・修繕を行なっていました。南栗橋車両工場が平成16年4月1日に
新設されるのに伴い、同年3月31日で廃止されました。この新工場は西新井・杉戸両工場が受け持ってい
た機能を統合・移転し、最新の機器が導入されています。西新井工場を中心として車両の改造などを担当し
ていた津覇車両は、旧館林機関区で車両改造などを行なっています。


                         ※画像は後日掲載します※




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